『ママのくつろぎサロン nemune』
オーナー兼セラピスト
マッサージ好きが講じてヘッドマッサージとメディカルアロマの資格を勉強&取得。
脱OLからたった1年で予約が満席のサロンを作りあげ、お客様にもとても喜ばれています!
◎1988年生まれ
◎やんちゃキッズ子育て中の3児ママ
◎静岡県富士市出身
◎神奈川県藤沢市在住
◎5人家族(夫、小5娘、小2息子、2歳息子)
・ABLC認定 熟眠ヘッドセラピスト/アロマメディカリスト
・フットセラピスト
・ベビー&キッズアロマ認定講師講座 修了
・おうちサロンづくり養成講座講師
・元大手電機メーカー人事系総合職(約15年間)
Profile Story
オーナーセラピスト natsu の歴史を赤裸々に公開しちゃいます!
〈資格取得に命を燃やしていた高校時代〉
幼い頃からのゲーム好き(ポケモン、ボンバーマン、カービーなどなど)が講じて、次第にパソコンにも興味を持つようになり、将来は何かしらパソコンを使った仕事(プログラマーやSE)に就きたいなと淡い夢を抱きながら地元静岡の商業高校へ入学。
高校では情報通信系の資格取得に励み、大人でも合格率10%くらいの国家資格に合格したり(高校生での合格は珍しく当時の新聞にも載りました!)、全校で数人しかいない一級合格8冠を達成したり、生徒会長をやったりと、当時から好きなことに対する熱量は誰にも負けず突き進んでいて、そこは今でもあまり変わらない部分だなと思っています。こんなにたくさんの資格を持っていると、さぞかし超まじめなガリ勉生活を送っていたかのように思えるのですが、残念ながら普通教科の点数はイマイチで(笑)先生たちの懐に入ることで内申点を稼ぐという荒ワザで、なんとか優等生のポジションを維持し続けていました。
高校3年生のある時、進学ではなく就職することを決めていた私に、学校へ送られてきた数ある求人票の中でもトップクラス級の大手企業へ推薦してくれることが決まり、無事に試験合格、神奈川へ就職することになったのです。
それが約15年勤めることとなる会社との出会いでした。
〈はじめての一人暮らし~入社&業務スタート〉
祖父から「がんばってこいよ!」と渡されたいくらかの資金を握りしめ、いよいよ神奈川で初めての一人暮らしがスタート。慣れない土地と、まだまだ関係性がぎこちない同期たちとの寮生活は(と言っても借り上げたアパートの部屋を一人一室ずつ割り当ててくれたので共同部分は一切なく快適でした)、期待と不安が入り混じったふわふわとした気持ちで過ごしていたことを鮮明に覚えています。
そして、入社式を経て少しずつ仕事が始まったのですが、入社前から薄々感じていた嫌な予感がここではっきりすることとなりました…。それは、私が夢に抱いていたプログラマーやSEの仕事ではなく、まさかのその方たちを支えていく側の「人事勤労部門」の仕事だったのです(まだ10代という未熟さ故の確認不足…自業自得ですね(笑))。
『本当はあっちの仕事がしたかったんだけどな…』とSEさんたちに憧れを抱きながらも、縁の下の力持ち的な存在である人事系の仕事も肌に合っているかもしれないと、あまり深く考えず新人時代はとにかくがむしゃらに働いていました。
〈怒られまくっていた新人時代〉
自分でいうのもなんですが、高校時代は一応「優等生」というポジションを維持していた私。でも入社してからその状況は一変…。毎日のように先輩に注意されるわ、タコ部屋(分かる人には分かる用語w)に呼ばれて長時間上司に説教されるわで、今まで私が抱いていた少しのプライドがあっという間に切り裂かれてしまい、当時は心身に不調が起きてもおかしくないくらいのツラさと苦しさを味わっていた時期でした。(実際にストレスのあまり、乾癬という手の平の皮が全部剥けてしまう症状にも苦しんでいたのもこの頃です)
そもそも人事というお仕事は、個人情報を扱う仕事ゆえあらゆる書類の不備は許されなかったし、上層役員との関わりも多かったので正確でスピード感のある仕事の進め方は必要不可欠なスキル、その役員たちとの会食も多々あったのでマナーも叩き込まれる、そして事業課題に対する従業員向けの人事施策を次から次へと打ち出していく必要もあったし、さらには職場ごとで抱える個人案件(いわゆる問題行為をおこす従業員への対応)もあり課題山積…。当時の先輩や上司たちは、高卒でへらへらと甘え腐っていた私に、現実はこんなにも厳しくてほんのちょっとのミスで重大な問題につながってしまう恐れがあることを、体当たりで私に伝えようとしてくれていたのだと今ではそう思っています。(当時を振り返るとやっぱりツラい思い出の方が圧倒的に多いのですが、そんな中でもこんな私を認めてくれていた職場の方は数人いて、その方たちの支えがなければもうとっくに辞めていたと思います(笑))
でもこのツラく苦しい新人時代があったからこそ今の私がある!これは確実に言えます。人のツラさや苦しさが痛いほど分かるようになった自信があります。そして、その苦痛を乗り越え見えてくる喜びや楽しさといった感情にも、一つ一つ感謝を抱けるようになりました。今の「私」の基盤となり本当に大きく成長させてもらった大事な時期だったと思っています。
〈初めての異動~結婚&初めての妊娠〉
入社5年目になりずいぶんと人事の仕事も板についてきた頃、当時お付き合いしていた同期(今の主人)と結婚することとなり、それと時を同じくして私自身の初めての人事異動が言い渡されました。(彼とは入社当初から同じ部署の配属でいわゆる職場内結婚なのですが、当時は同じ部署内で結婚するとどちらかが別の勤務地へ異動させられるという暗黙のルールがありまして(笑)←これってどこの会社でもあるのかな??)
私が異動した先では500人程度が就業する製造現場の総務業務全般で、これまでの1000人弱の従業員が就業していた事業所からだいぶ規模は小さくなりましたがその代わりに業務範囲はぐっと広がりました。それでも従業員の方との距離が以前よりも近くなったことで職場の方々に頼られる機会も多くなり私にとってはそれがとても嬉しくやりがいに繋がっていったことを覚えています。業務範囲が広くなったからさぞかし残業時間も多くなるのかなとビクビクしていたのですが、これまでの職場で厳しくご指導いただいたおかげで(ずいぶん鍛えられたのでしょう笑)幅広い業務もそれなりにこなすことができ、むしろ定時退勤できるようになりました!(やった~理想的な働き方Get✨)なので、この時期は仕事もプライベート(新婚生活)も比較的充実した日々を過ごすことができていました。
そんなある時、体調に異変を感じ病院に行ってみると第一子の妊娠が発覚!初めて味わう悪阻は、なんとも言えない気持ち悪さで帰宅後は即行バタンキュー。食べ悪阻だったのですが、当時の職場は飴を食べるのもタブーだったので理想的な働き方Get~♪と浮かれているのもつかの間、体調的にはTooBADでした…。トイレでこっそりチョコ一粒を食べて乗り切っていたのは内緒(笑)
〈第一子の出産・子育てスタート~育休復帰〉
無事、産休に入り、第一子を出産。初めての子育ては分からないことだらけで、こんなにも感情が無茶苦茶になってしまうことがあるんだって、また仕事の苦しさとは違う難しさを感じました。泣くしかできない我が子に「静かにして!」と大きい声をあげたこともあったし、一生懸命下ごしらえして準備した離乳食を完全拒否された時には「なんで食べてくれないのよ!」と言ってご飯を投げつけたこともあります。自分なりに理想の子育てをしたいと思っていたのに全然そうさせてくれない現実…。
産後はホルモンバランスが乱れやすく感情がジェットコースターのように移り変わることを今となっては理解していますが、当時はどうしてこんなにも可愛い我が子にイライラしたり、大人のくせに幼い子どもに対してありのままの感情をぶつけてしまうんだろうとか全然理解できず、なんてヒドイ人間なんだって自分のことを責めまくっていました。おそらく当時の私に一番必要だったのは「心も身体もしっかり休むこと」でした。なのに、「休むことは悪、ダメな母親」と思い込んでいたので手の抜きどころが分からなかったし、子育て家事すべてを頑張りたいと私自身が望んでいたことで、休むとは正反対の高いしがらみを自ら作ってそれを乗り越えようと必死になっていたのでした。
to be continued…